| 私の場所: |
生家は大工棟梁四代。幼いころから木は身近ものとして育つ。
祖父の代のころは、古材をうまく再利用したり、むだのない、仕事が当たり前になっていた。
構造においても、まず、頑丈に組み上げるのが基本であった。それは、台風などによって、自分が手がけた建物が、飛ばされたり、倒れたりすることは、職人として恥であるという誇りがあったからである。また、冬場、外の仕事ができない時期は、凝った組子の建具をつくったりした。夏場手がける建物にそれを使って建て込むのである。当時は、大工職人として、絵心を身に付けるための手習いをうけたりしながら、いまでいう、バランス感覚をやしなったのでした。初代の租祖父は、家の中での、立ち振る舞いにも、うるさかったと聞く。
それは、そのころの大工は、朝早くから、現場となる、建主方で振る舞いを頂きながら通い込んで作業にあたる。そして、大工さま、と呼ばれるのだが、それにふさわしい身づまいをこころがけなければならないといった厳しさをもっていたからと聞いた。その租祖父は、宮大工の棟梁に弟子入りして十年、お礼奉公の後、独り立ちした。
私は、大工を目指したのではないけれども、今、設計士を生業にして、職人である先代のこころ、どこかにもちながら、建築に向かい合っている気がする。また、その繋がりのなかで手本にすべきことは、自分も、受け継いでゆきたいと思っています。 |
|
|
|