詩的な建築
建築的心象風景
いき と 品性
いきの構造(九鬼周造) を久々に思い出しました。
少し、建築的な考察を。
いき は 粋 のことですが、
私なりに粋が粋であるためには、どうしてもそこに「品性」が
不可欠であると思っています。
とは言うものの 粋 そのもの定義について いきの構造 の
ような、難解な本になるのですから、人に依ってそのイメージ
はそれぞれだと思います。
日本語の 侘び・寂び もまたその定義が難しいですが
共通して、含まれるイメージは私なりに
「凛とした奥ゆかしさと品性」 と感じています。
どちらも、その場しのぎができにくいものと思います。
建築も完成時に顕れてくる雰囲気は、その設計段階
のみならず、それ以前からの設計者の考え方 価値観、また建築主さんの
お人柄が現れてくるものですが、私は、粋かどうかはさておき
「品性・品格」は重要な形のない要素だと思っています。
この 品位 とは、気取り ではなく、
少しの緊張感と少しの威厳と謙遜であって、
建物が 使い手あるいは、住む人を育むためになるもの・・・。
建物は、人の手によって造られるのですが、
いったん、命を得た建物は、また人を包み込む
使われる「器」として機能するばかりではなく、
名茶器が、使い手を規制するような気概を持つ
ものだと考えています。
ただし、私がかかわる建築物はそんなに厳しくなく緩いのですが・・・・
そして、常に人と関わる時間が長く動かぬ家族のようなものと思っています。
それ故に、私の描く 品性・品格 とは
優しさと対であり共助の役割をもつものです。
ちょっと 粋 からそれてしまいましたが、
かく言う、私自身 この品性と言い、奥ゆかしさといい
とても足りてないのを自覚するのです・・・・・・・・。
ここで、以前、私のブログの知人の方から頂いた言葉を
ご紹介したいとおもいます。
とても感動したもので私も大事にしたいと思っています。
(原文のまま)
品 というもの
「品(位)」と言うのは、「仕える」という生き方をしていないと出てこないものだよ。
と、今は亡き書の師匠に言われた事がございます。
奴隷はだめだよ、仕えるのだよ。とも。
こちらでは、仕えるという言葉にサービスというのが当てはまります。
この意味は1、神へ仕える。2、国に仕える 3、人に仕えるの意味を持っているのです。
人は、世の中の為に何かを尽くそうと各々の分野
立場でその最も崇高な目的を果たさんが為に精進
邁進する生き方に「品」というものが備わって
来るのだろうか、と思うことがあります。



