Profile

    "より良く活かすこと、活きること" それは、現在~この先の時代のすべての分野において、大切なキーワードとなるでしょう。
    そのために私どもは、思いやりや優しさを根底において思考することがなにより大事なことだと考えます。
    すまいの間や意匠(デザイン)、他の建築物も同様に、より良く活かしていくことにより、やすらぎと潤いのある生活や営みへ、さらにはあたたかな社会へと広がっていくことを目指しています。
    このような姿勢を心がけながら、具体的には、「新しくしたい」「新たな活用をしたい」「再生するには(リノベーション・リユース)などのご要望について、対話を大切にしながら、実現化に向けてのお役に立てれば幸いに思います。

 

吉田 直行 代表・一級建築士

1956年 山形市生まれ
1975年 県立寒河江高等学校卒
1979年 東京工科専門学校卒
1979年~(東京) 平野設計室、園部建築設計事務所勤務
1985年~(米沢) 渡部建築設計事務所勤務
2005年 吉田設計+アトリエ・アジュール 設立

 

主な業務

・ 住宅・建築全般の設計、及び設計監理

・ リノベーション、リフォーム 設計監理

・ 教育施設、医院、薬局その他店舗 設計監理

・ イベント空間設計及び自主企画プロデュース

・ まちづくりに関しての企画・提案・設計

一級建築士(大臣)第245051号

山形県知事登録(1010)第1695号

 

市民活動に関する支援活動(社会貢献活動)

・ 山形市市民活動支援センター連絡推進協議会 理事

・ ホスピスケアの会(事務局)

・ みちのく屋台こんにゃく道場 活動支援

・ 非営利活動法人うさぎ村 会員

・ 非営利活動法人しん 活動支援

 

被災地復興支援活動

・ 塩釜市浦戸諸島復興支援活動ボランティア 建築アドバイザー(2011.9)

・ 宮城県仮設店舗の商品ラッピング、パンフレット等プロデュースを含めた復興支援

 

 
 

私の場所(父から受け継いだ話)

私の生家は大工棟梁四代目です。 幼いころから作業場の木の香りは身近なものとして育ちました。

祖父の代のころは、古材をうまく利用したり、無駄のない仕事が当たり前になっていました。

構造においても、まず、頑丈に組み上げるのが基本でした。

それは、雪の重み、台風や地震などによって、自分が手がけた建物が、飛ばされたり倒れたりすることは、

「職人として恥である」という誇りを強く持っていたからです。

また、冬場、雪で外仕事ができない時期には、凝った組子の建具を作ったりしました。

夏場に手がける建物にそれを使って建て込むのです。

 

当時は、大工職人として、「絵心」を身に付けるための手習いを受けたりしました。

今でいうなら、バランス感覚を養うためのものでもありました。

(当時手本とした 雄龍・雌龍 の対の墨絵は今も私の手元にありますが、とても迫力のあるものです。)

 

初代の租祖父は、家の中でも、立ち振る舞いに厳しかったと聞きました。

それは、そのころの大工は、朝早くから現場に通いこみ、建主方での振る舞いを頂きながら暗くなるまで作業にあたることも多く、そして「大工さま」と呼ばれるのですが、それにふさわしい身づまいを心がけていなければならないといった厳しさをもっていたからでした。

 

その租祖父は、宮大工の棟梁に弟子入りして十年、さらにお礼奉公の後、独り立ちしました。

 

そして今、私自身は、大工職人ではなく設計を生業にしていますが、職人であった先代の心を、どこかに受け継ぎながら、設計に向かい合っている気がしています。また、その繋がりのなかで手本とすべきことは、これからも大切に受け継いでいきたいと思っています。

 

雄龍の絵雌龍の絵

 

 

 

これまでの仕事

新築住宅からリノベーション、施設・店舗設計などこれまでの仕事を一覧にしたページでご覧いただけます。 それぞれの個別のページで建物の詳細や最終形に至るまでのエピソードもご紹介しております。 ぜひ、ご覧ください。 

 

brog「楽思居(らしい)建築」

ブログで、工事記録や完成の記録、まちづくりに関しての思いなどを綴っています。 ぜひ、ご覧ください。 

 

市民活動グループ カジョウコミューン

事務所では、社会貢献の一つとして、まちづくり市民活動グループ「カジョウコミューン」を主催しています。考え方やこれまでの活動を紹介しています。 ぜひ、ご覧ください。 

 

 

PAGE TOP